小説 昼下がり 第五話 『晩秋の夕暮れ。其の二』



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 ロバートが赤ら顔をより一層、赤くし
て、とつとつと喋り始めた。
 「もちろん、牧師と云えどもプロテス
タントでは結婚は自由。カトリックでは
そうじゃないがー。
 オタワに居たころ、ガールフレンドは
いたが、兎(と)にも角(かく)にも日
本へ行きたかった。彼女も連れて行こう
と思ったが、当時は戦時でしょう。
 彼女の両親が反対。ましてや私は外国
人であり、敵国人。その状況で唯一、渡
航可能なのは赤十字社。
 戦時における傷病者、捕虜等の保護を
目的とあるからね。それで志願したんだ」
 ロバートはそう云うと、ウィスキーを
ストレートで、ぐいっと一息で飲んだ。
 傍らで訊く、秋子と教授の眼が何故か、
穏やかだった。
 ロバートは言葉を続けた。
 「最初の赴任地が韓国。その後は、君
ちゃんも知っている通りだがー。啓一君
はよくは知らないと思うが……。
 戦時中で恋愛の暇がなかったーが正解
かな。日本に来ても、教会の運営に携わ
って目が回るほどの忙しさ。
 気がつけば、四十二才。あっという間
だった。

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 子孫を残したい気持ちは、もちろんあ
るよ。男としての義務は果たしたいが、
これだけは縁なものだからねー」
 ロバートの顔をじっと見つめ、黙って
訊いていた君ちゃんの眼には、母性本能
が疼(うず)き出したのか、哀愁が感じ
られた。
 暫(しば)し感傷に耽(ふけ)ってい
た君ちゃんが、振り向きざま啓一に、
 「啓ちゃん、あなたはどうなの、好き
な人がいるの?いつも寡黙(かもく)で、
透さんとは対照的だしー」
 三人の話を、耳を欹(そば)だてて、
訊いていた透が突然、素頓狂
(すっとんきょう)な声を出した。
 「君ちゃん、君ちゃん! 啓一はね、
忘れじの人がいるんだってー。
 半年ぐらい前の雨の日、本屋の軒下で
雨宿りをした、それは、それは美しい人
だった、てさ。へへへへー」
 透は嬉しそうに、顔をくしゃくしゃに
して笑った。
 「透! もういい。君ちゃん、そうな
んだ。何となく、心の片隅にいつも残
っていて、いつまでも払拭できないんだ。
 いつか逢えるだろう、と思っていたが。
ロバート、神のお導きはないのかな?

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 「啓ちゃん、色恋は神の与(あずか)
り知らぬことよ。運を導くのは自分の精
進次第だってさ。
 空海がそう云っていたよ。ハハハハ」
 ジョークも交えた、ロバートの説法は
支離滅裂。皆の大笑いを誘った。
 傍でにこやかに訊いていた秋子が遠く
を見る眼で、啓一に訊ねた。
 「啓ちゃん、その娘(こ)の名前、知
ってるの?」
 「いや、何も知らない。駅裏の本屋の
親父が知っているみたいだったけど、云
いもしないし訊きもしないし、皆目…」
 と云うと、啓一は口を噤(つぐ)んだ。
 コップ酒を飲んでいた秋子の表情が変
わった。教授がやおら口を開いた。
 「秋ちゃん、ひょっとしたらその娘…」
 秋子は教授の言葉を遮(さえぎ)るか
のように、「そうね、ありえないわ。忘
れて、啓ちゃん! さあ、飲もう。妙子は
寝ているし、これからが大人の時間よ」
 再び、酒盛りが始まった。時の経過を
忘れたかのように……。外は深秋の薫
(かおり)深い、十一月中旬であった。
 縺(もつ)れた糸を解きほぐす、過酷な
運命が待ち受けていようとは、啓一は露
(つゆ)も知らなかった…
―次回、冬の尋ね人【血の系譜】に続くー

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